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2005年10月31日 (月)

とても素敵な詩ですね

僕も詩はとても好きす、僕には描けないような世界観があるなぁと思いました。

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禁煙5日目です!

禁煙をしてから五日間が経ちました、禁煙パッチを貼っているせいかイライラしたりとかがないですね。禁煙をすると人生が360度変わってみえるような気がします、ささいな事をとても貴重に思えたり、喜べたり、とにかくいい事づくめです。不思議だなぁと思いつつ禁煙をして両親がとても喜んでくれているのが何よりも嬉しいです、そして何より自分自身の健康のためですね!

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2005年10月30日 (日)

タバコでストレスが解消するというのはウソ!!

医薬トピックスより

タバコでストレスが解消するというのはウソ!!

 ストレス解消を大義名分にタバコをやめないという人は大勢います。しかし、タバコは「ストレス解消」どころか、精神毒性の強い依存性薬物である「ニコチン」を含有している「ストレスの元」なのです。

 喫煙者が感じているストレスの本体は、医学的には、ニコチン離脱によって引き起こされる不快な症状です。それは喫煙を続ける限り、喫煙者の健康を阻害し、ニコチンが切れるたびに余計なストレスを生みます。

 喫煙行動に伴う健康障害や社会的不利益、喫煙できない自分への自己効力感の低下や自己嫌悪をなどが加わり、二重三重のストレスを生じる悪循環となっています。

 喫煙者が喫煙をできなかったときに感じるイライラの本体(ニコチンの離脱症状)を日常生活のストレスと勘違いしているのです。

 喫煙によって、ニコチンが肺から吸収され、脳へ作用すると15秒以内という即効性で不快な症状が消失します。そこに、喫煙によってストレスが解消したと勘違いする仕組みがあります。

 かつてのタバコの広告もこうした仕組みを利用し、喫煙者の勘違いの促進をしていました。

 ニコチンの離脱症状:緊張、集中困難、不安怒り、フラストレーション、易刺激性、運動減少 傾眠・逆説的睡眠障害、筋緊張の増加、心拍数・血圧の低下

 {参考文献}治療 2005.6 薗(石川)はじめ 薗はじめクリニック

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タバコは女性の老化を早める?

宮崎大学安全衛生保健センターのHPに、

タバコは女性の老化を早める?

禁煙塾

の資料がアップされています。

ぜひ活用してください。

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三股町のふるさと祭りに向けて

11月12日に宮崎県の三股町でふるさと祭りがあります、そのお祭りでカーニバルのメンバー貞雄さんと一緒に二人で歌で出演します!今はそのお祭りに向けて自分なりにいろいろとがんばっております!なんと寒い季節に花火があがるというじゃないですかぁ、びっくりですよね。歌う曲も決まりました、声のほうも今歌いこんでつくってます、今回は新曲を2曲歌うので歌詞を覚えたり準備がたくさんあるのです。とにかく楽しんで歌おうと思うのでそこんとこヨロシクお願いしまーす!!

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2005年10月29日 (土)

詩人

僕は音楽をやっているのですが、特に詩のほうに興味があります。今までにも数えきれないほどのメロディーがつくられて似たようなメロディーもありますが詩は今も昔もあまり関係なくつくられている気がします。

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2005年10月28日 (金)

禁煙宣言!

現在、あなたは禁煙についてご興味をお持ちですので、禁煙を具体的な目標と
して掲げていると思います。いずれにしても、「禁煙をしよう!」と思い、
「もうタバコを吸わない」と決意することが、禁煙の第一歩です。
禁煙できないのは、自分の意志が弱いからだと思っていませんか?
タバコをやめられないのは、意志の強さとは別に、タバコに身体的にも心理的
にも依存しているからなのです。タバコをやめるには、『身体的依存』と『心
理的依存』という2つの依存状態から抜け出すことが必要です。
『身体的依存』はニコチン依存ともいわれています。
タバコをやめ、ニコチンが体から抜けていくにしたがって、イライラや集中困
難などのニコチン離脱症状が現れます。タバコを再び吸ってしまえば、ニコチ
ン離脱症状はなくなるため、多くの人が、このニコチン離脱症状に耐えられな
くなって喫煙を再開してしまいます。

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トラックバックが多いのにびっくり

やはりブログ界の女王ですね!

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新曲です!!

秋のコスモス          

詩・曲 板谷浩臣

流星のごとく現れた君に 

贈る絆はこういうもんさ

深く白く甘い色をしたものたちだけに

雲の切れ間から今飛び立つ

陽射しを覚えた僕らはどうか 

何があってもくじけることない

仲間たちへ

君を守るために生まれた 

秋のコスモス咲きほこる

何があったって 何度だって 

夢語る・・

君を守るために生まれた 

秋のコスモス咲きほこる

何があったって 何度だって 

大丈夫

君だけの花 君だけの花 

僕の声で歌うのさ

今まで覚えてきたこと全部

一度ゼロにして考えてみる

そしたら叶わぬ夢などひとつもなかった

夢は叶うためにあるもんさ 

そうして僕は強く思って

今この歌声で響け 天空に 空に

君を守るために生まれた 

秋のコスモス咲きほこる

何があったって 何度だって 

夢語る・・

君を守るために生まれた 

秋のコスモス咲きほこる

何があったって 何度だって 

大丈夫

君だけの花 君だけの花 

僕の声で夢語る

(ギター間奏)

ウォー

君を守るために生まれた 

秋のコスモス咲きほこる

何があったって 何度だって 

大丈夫

だからさ 君だけの花 僕だけの歌 

夢語る 君だけの花・・・

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禁煙!

ただいま禁煙しております。たばこは健康にも美容にも悪いそうですよ。何の得にもならないそうです。何よりも自分のためです。

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2005年10月27日 (木)

僕も宮崎県在住で音楽をやっています。これからもがんばってください。

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素晴らしいですね

人生冒険家の釈円融さんにトラックバックしてみました。

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カーニバルの練習後

昨日は三股町の商工会の青年部の方々から楽器を寄付してもらいました。とても嬉しいことです。あと昨日もみんな元気で僕もすごく楽しかったです!カーニバルのホームページにみんなとサポートメンバーの集合写真を貼り付けました。

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最高の治療薬を手に入れる

以下引用。

最高の治療薬を手に入れる

(慈経 アルボムッレ・スマナサーラ P118.119より引用)


ある人が病気になってどうにもならない状態で

落ち込んでいる時、病人の気持ちを良くしてあげないと

病気が治らないでしょう。

みんな普通に「大丈夫ですか、

元気を出して頑張って下さい」 と励ましますね。

患者の気持ちを穏やかにするために一生懸命です。

でも、もし私が行ったら、病人の性格によって

色々と言う場合があります。

ちょっとでも怠けごころでワガママを言ったら、

「あんた汚いことばかり考えていないで、

『慈悲の瞑想』をしなさい」と怒るのです。

甘えさせてあげません。

あるいは、病人が 「今日は寝られなかった」

と弱音を吐いたら、

「だったら眠れない時間、ちゃんとすべての生命に対して

瞑想したらどうですか」とアドヴァイスをする。

そうするとまた結果が違ってくるのですね。

ある時には、「まぁ、アンタだったら病気になるのは

別に当たり前でしょう」と突き放すことがある。

「医者は良い薬出してくれなくて…」と愚痴られたら、

「それはアンダの性格が悪いのだから当たり前。

アンダは頑固で怒りっぱなしで、

他人のことを全然心配してこなかったでしょうに」と

説教する場合もあります。

「まぁ良いのではないですか。

もしかすると医者が注射を間違うかも知れませんよ、

そんな性格だったら」そうやって脅して喜ぶ時もある。

すると本人はもう助けて欲しい状態だから、

自分の性格の悪さについて「やっぱり

ちょっと気を付けなくちゃ」と、

他の人を心配する気持ちが生まれてくる。

自分のことばかり心配するというのは、

とんでもない話ですからね。

慈悲の生き方は、今まで世の中で普通とされてきた

生き方とはアプローチが百八十度違うのです。

同じ病院に行って、同じ医者に掛かって

治療して貰うのだけど、

慈悲の人のアプローチは百八十度違う。

自分が病院に行ったら先生にも

心の安らぎを与えるのです。

ふつう「医者が患者に精神的にも安らぎを与えるべきです、

そうでなきゃ治りませんよ」と言うでしょう。

病院が職員に向かってそう話すのは当たり前ですけど、

では患者が医者に精神的な安らぎを

与えたらどうですかね。

ものすごく違った結果になるのではないでしょうか。

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2005年10月26日 (水)

カーニバルの練習

今日は2週間に1回のカーニバルの練習があります。みんなに会えるのが楽しみでーす!

!(^^)!

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劇団こふく劇場

こふく劇場のホームページをリンクしました。ぜひ皆さん遊びに行ってください。

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2005年10月25日 (火)

善友

世の中にはたくさんの人々がいます。世の中で一番難しいのは、人間関係だと言われます。確かにそう思います。自分が良い行いをしていれば、それなりのことがかえってくるし、悪い行いをしてしまったらまたそれなりの事がかえってくる。仏教でいう因果の法則です。それを理解すれば良い行いをしている人たちと付き合えば良いと僕は思います。人は好き嫌いで判断してはいけないと思うんですよ。少しうるさく聞こえても自分にとって良いことを言ってくれる人は大切な友人だと僕は思います。そういう大切な友を善友というそうです。

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2005年10月24日 (月)

仏教から見る死(上) 3

『業の法則』(因果法則、行為・結果の法則)という観点から、「死」にアプローチしてみましょう。

 「業の法則」は厳密な会計士のようなものです。現在の個々の人間の喜びや苦痛の大きさは、過去にそれぞれがなした善悪の行為に相応する結果です。それより多くも少なくもないんですね。また未来の幸福や不幸も、自分の善悪の行為によって、自らつくりだされていくものなんです。

 『生命は業を所有し、業を母胎として生まれ、業に固く結びつけられ、業に依存し、善悪の業をつくってそれを相続する』
        増支部経典(Anguttara Nikâya)

 さまざまな行為から、さまざまな結果が生まれます。ですから、生きているときの行為や条件にしたがって死因も異なってくるんですね。どんな行為や原因にもそれにふさわしい結果があるのです。これが確固たる真理なのです。

 業の法則とは、『行為には必ずそれに値する結果がともなう』というゆるぎない秩序のことで、何か支配者や組織などが、法則を制定しているわけではありません。また、自然も法則によって成り立っています。マンゴーの実が木から地面に落ちるのは、神々などの外部の力がそうすることを命じているのではなく、地球の引力やマンゴーの重力が原因なんですね。自然界にも一定の秩序がはたらいているのです。私たちの日常の行為にも同様に、原因と結果の法則、または行為と結果の法則が必然的にはたらいています。この法則は、外部の独断的な力に依存しているのではなく、『ある行為がある結果を生み出す』という普遍的な真理なのです。

 人間の「生と死」についてはどうでしょうか。これも根拠のない外部の力で決定づけられているものではありません。木が成長し、やがて枯れることと同様に、ある法則に基づいているものなんですね。また‘偶然’でもないのです。なぜなら、あらゆる現象は、それ以前に自らがなした行為や条件の結果なのですから。偶然が「生と死」を支配していることはありえないのです。私たちは原因を知らないときに‘偶然’という言葉を使うんですね。因果法則を発見することは「死」を理解することを助けてくれるのです。

 私たちは、外部の存在が個々の業を形成するのではないことを知りました。業とは自らの行為と結果のことに外なりません。ですから、自分が蒔いた種は自分で刈り取らなくてはいけないのです。また業とは‘過去’という密閉された箱から出てくるものではなく、いつでもつくりだされているものなんですね。人生は因果法則によって成り立ち、私たちは瞬間瞬間、業を担って生きているのです。ですから未来は、すべてが過去の行為の結果ではないのです。今の瞬間もまた未来の原因と条件をつくりだしているのです。

 もしあなたが死を恐れるのなら、良き未来を確保するために、なぜ、今という時を賢く使わないのでしょうか? 死を恐れ、怒りや怠けなどの悪い感情が、私たちの未来の幸福を妨げています。ある人々は、道徳を守り、他の生命を害することなく、自分にできることで他人の役に立ち、いつも法を思い起こし、法に従って生きています。このような人々は疑うことなく幸福な未来のために励んでいます。法に従って生きる者は、確実に法に守られます。また死を考察することは、法に従うことの手助けをしてくれるんですね。法に守られる人々は死を恐れることがありません。また死が訪れたときも、落ちついてその現象に直面することができるでしょう。

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仏教から見る死(上) 続き

 死を意識することによって、快楽に溺れることから解放され、自己中心性が打ち砕かれていくのです。間違いだらけの価値観は、調和のとれた健全な思考に変化し、目的もなくあちこちとさまよっている散漫なこころは、明確な方向づけと、落ち着きのある強い精神へと変わっていくんですね。

 お釈迦さまは弟子たちに死の冥想(maranânussati bhâvanâ) を強くすすめられました。この冥想を修習したい人は、ある一定の時間を決めるか、あるいは、特定の時間は決めずに日常の生活のなかでいつでも、『死が訪れます』とこころで念じます。清浄道論(Visuddhi Magga) では、『死』は、悟りにいたるために欠かすことのできない最も伝統的な冥想対象のひとつであると、論じられています。この冥想は、気づき(sati)と緊迫感(samvega)、それから理解力(ñâna)をもって、正しく実践することが非常に大切なんですね。

 こんな例があります。まだ若い、ある弟子は「いつどんな瞬間にでも死ぬ可能性がある」という事実に、鋭く気づくことができませんでした。死は、遠い将来、自分が年老いてから訪れるものだと考えていたのです。このような彼の死の考察は、あまりにも明晰さに欠けているんですね。ですから、悟りを得るためには、結局、何の役にもたちませんし、輪廻は延々とつづいてくことになるのです。

 死を深く考察することは、どれほど重要で、有益なことでしょうか。清浄道論に、その功徳が記されています。『死の冥想に専心している弟子たちは、いつどこでも注意深く、生活において、欲に溺れて楽しみを得ようとはしません。また来世を渇望することもなく、悪い行為を避け、日常生活に必要な諸々のことへの執着からも離れています。さらに、どんなときでも無常を知覚することができ、存在の本質である虚しさと、自分や魂という実体はない、という真理を理解することができるのです。さらに、死の瞬間には、少しも怯えることはなく、気づきと意識をしっかり保っていられるのです。そして、たとえもしこの現世において涅槃にいたることができなくても、身体が壊れたのちには、幸福な次元に生まれ変わることができるのです』と。

 このように、日々の生活のなかで死を意識することは、こころを清らかにするだけではなく、死ぬことへの恐怖や、怯えもとりのぞいてくれるのです。さらに最後の息を吐く瞬間には、しんぼう強く、落ち着いて、その状況に直面することができるんですね。死を念じることで、落ち込んだり、気力を失ってしまうことは決してないんです。それどころか、いつ死が来てもいいように死ぬ準備をして、待ち受けている状態なんですね。

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仏教から見る死(上)

死について、仏教ではこんな考えがあります。以下は

グナラタナ長老 (Ven. F.Gunaratna) 仏教から見る死(上)からの引用です。

 ふつうの人々が触れようとしない『死』の問題について、仏教ではどのような見方をしているのでしょうか。実は、この『死』こそが、人生の謎『何の為に生きるのか』という問題をとく鍵なのです。もし『死』を理解することができれば、生きることを理解することができるということです。広い視点でとらえますと、『死』とは『生きる』という過程の一部なんですね。また別の視点から見ますと、生と死は、ひとつの同じ過程における両面とも言えるのです。もし過程の一つの面(死)を理解することができれば、もう一方の面(生)もまた理解できるということなのです。このように『死』を理解することは、同時に『生きる』意味を理解することにつながるのです。

 やがて必ず自分に訪れる『死』というものに集中して、深く向き合って、よく考えてみることによって、死ぬ運命に支配されている地球上のすべての人々のあいだの、人種や信条、カーストの『壁』を破壊してくれます。そして、慈しみと哀れみのきずなをもって、人から人へと結びついていき、頑固なこころをやわらげてくれるのです。『死』は偉大な平等主義者です。生まれ、地位、富、権力などの差別は、死の前ではすべてうち砕かれ、焼き尽くされてしまいます。どんなものも、決して、死に勝つことはあり得ませんから。『死の平等性』を表すこんな詩があります。

  死が訪れれば
  王笏(おうしゃく)や王冠もくちはてる
  ボロボロになった鎌や鋤も同様にくちはてる
  何の違いもない
  (王様の死も百姓の死も何の違いもない)

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今、過去、未来

終わった事を何度も考えてもしかたがない、遠い将来の事を考えて生きてもどうなるかはわからない、今(瞬間)を生きて次の次を考えればいい。善友が一人でもいれば宝物だと思います。悪友はかかわらないのが一番だと思います。星のかけらのような人の心を傷つけたりは僕は絶対にしないし、されないような強いしっかりとした心を持つのが大切だと思います。

浩臣より

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歯科

実は僕の父が歯科を開業していてそこで僕も仕事を手伝わせてもらっています。スタッフの方々もとても親切で,優しくしてくれます。患者さんはいろいろな不安をもって来られると思うので、診療室内のいい雰囲気と医師の的確な説明と判断が大事だと思っています。患者さんを笑顔で迎えて、安心して帰ってもらいたいといつも思っています。

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2005年10月23日 (日)

死の瞑想

初期仏教では「死の瞑想」という瞑想法があると最近しりました。

「この体は衰え果てた。
病の巣であり、脆くも滅び去る。
腐敗のかたまりで、崩れてしまう。
生命は死に帰着する。」

 (『ダンマパダ 法句経』第148偈)

初期仏教の経典に上のような偈文があります。
仏陀が残した経典です。

スマナサーラ長老と観学院称徳 さんの言葉を引用します。

初期仏教では『死』を、以下のように観察します。
「生まれるものは皆死ぬ。生は死とともにある。
今まで生きていたものは皆死した。今生きている
ものも皆死していく。故に私も必ず死す。
死へ向かって生きている。水の上に書かれた線
が必ず消えるように、生きているものは必ず死ぬのだと、
また生は危ういものであり、死だけが決定的なものである」と、日夜観察するのです。(スマナサーラ長老)

「死の瞑想」とは、様々な死に接したとき、
生命ある者は皆このように死ぬ、わたしもまた死を免れないのだ、
と死を我がこととして観想することです。
そうすることによって、死は自然なことであって特別なことではない、と
悟ることができるのです。
そして、死が必ず訪れるものだと自覚することで、
今この時が大切だ、一期一会の出逢いも大切だ、今何をなすべきかが大切だ、
と思えてくるのです。目にするものすべてが愛おしく、美しく輝いて見えるというのです。 ( 観学院称徳 さん)

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2005年10月22日 (土)

智慧

智慧がある人は決して地位や名誉や名声や役職や肩書きなどにとらわれない。人とは心と心で対話をする。他人の人格も否定をしない。ただ静かに物事を判断して人や自分の心の状態を見極める。正義感と強い責任感と誠実さを持ち堂々と生きてゆく。人からどう思われるかすらも気にしなくなる。そうなると余計なエネルギーも働かなくなる、落ち着きを保ち何かあった時はどうしようではなく、冷静にどう解決するかを考える。おのずと智慧も沸いてくる。だから偉そうにもしないし、人に媚びようともしない。優しい言葉や人のためになる事を実行してゆく。人は人、自分は自分、だから僕は自分に「孤高の人であれ」と言い聞かせる。

浩臣より

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めざましテレビ

めざましテレビのめざうたこんぺに曲を応募してみたいと思います。めざうたコンペでメジャーデビュー!

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2005年10月21日 (金)

そうですよね

瞳さんへ

コメントありがとうございます。わざわざ争う必要もない事が減ってゆくのを願ってます。

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高めてゆくもの

人は生き方が顔に現れると思います。例えば考えるにしても終わった事をたくさん悪いふうに考えたらきりがないし体にもよくないのですぐに切り替えて今を瞬間を楽しんで生きるのが大事だと思います。人は皆自分の事でいっぱいだと思いますよ、実際。だからリラックスしてゆとりのある中身と心を磨いてゆけば顔つきも表情も自然によくなってくると思います。

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僕のホームページです。

板谷 浩臣

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微笑み

近くの誰かがケガをしたり不安になったり焦ったりしている時は微笑んであげて下さい。優しい微笑みはすごく大きないい力を持っています。

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確かに

持永 悟さんにトラックバックしました。確かに僕も詩や曲ができる時は一度に湧き出てくるというか悟さんの気持ちなんとなくわかります。あと音楽は常に芸術であってほしいという気持ちはすごく強いですよね。

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2005年10月20日 (木)

S.T.A. 通信79           

知り合いの元僧侶りゅうさんのメールを転載します。

S.T.A. 通信79           2005年10月
ホワイトバンド

この活動に対するコメントを求められた。     
知人が関わっているが、あまり実態を知らなかった。 
「ほっとけない世界のまずしさ」と言うキャンペーンだ
そうだ。白いリストバンドを300円で買うと、費用を差
し引いた125円で途上国のNGOの政策提言を支援し、貧
困の実情を伝えると言うのである。募金で学校や病院が
建つわけではない。
NGOイコール援助団体だと考えられているようで、災害が起
こるとSTAがどう動くかがすぐ期待されてしまう。
STAも支援もしているが、基本的には援助団体ではない。
このキャンペーンと狙いは重なる所がある。
勘三郎や中田くんそしてTERU等がやっていて多くの若者
に広がったと言う。危惧するのは、バンドを買った人が
それで飢餓問題に関わったと終わってしまわないかとい
うことである。我田引水になるが、STAのスタデイツアー
にも同じことを思う。
実は其処から知ることが始まり、活動が始まるのだが。 
多くの若者が関わったこの活動の今後を期待したい。
ただ、バンドの広がりと、今度の総選挙の選挙行動が重
なって見えてしょうがない。どうも私の目はそうとうゆ
がんでいるようだ。
S.T.A. (Sharing the Tears of Asia)
なみだの分かちあいアジア     りゅう・チャクマ
〒440-0036 豊橋市東光町113-1
TEL&FAX 0532-63-1048
E-mail sta.office@yahoo.co.jp
URL http://staweb.org

☆最近コマーシャルばかりになってますが、
10月29・30日豊橋名豊ビル5階で出店してます。スロータウン
映画祭のイヴェントです。
☆「あちゃチャイ」というチャイセットを商品化しました。
630円です。一度お試しを。 提供はSTAでした。

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考え方次第

僕が最近よく思うのは,考え方次第で軌道修正ができたり,立ち直れたり方向が良くなったりするんだなぁという事です。例えば何かを持っていて,その何かをすごく欲しくなったりした時は,その持っている何かをなかったものと考える。そうすれば満足できたりする時もあります。世界は狭いと考えたら本当にそう思えてくるし、逆に世界は広いと思ったら楽しくなったりするものです。言っていいこと悪い事、やっていいこと悪いこと。そこさえ分かっていればいい考え方ができると思っています。自分も含めてお互いが楽しく気持ちよく、みんなが楽しく気持ちよく生きてゆければとても素晴らしいと思います。

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リップスライム

イキのいい語り口、気持ちのいいサウンド、リップスライムさんにトラックバック挑戦してみます。

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二度目です。

うまく表示されなかったのでもう一度トラックバックしてみました。

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知的で綺麗な方ですね

眞鍋かをりさんのブログにトラックバックをしてみます。知的で綺麗な人ですよね。

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トラックバック

福留祐子さんにトラックバックしました。皆さんも福留さんのブログに足を運んでみてください。

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おはようございます!

11月に地元宮崎の三股町でお祭りに参加して歌を歌わしてもらいます、曲はもちろんオリジナル。2曲は選曲したのですがあと1曲がまだ決まってません。近いうちブログで曲をダウンロードできるようにしたいと思っています。その時はぜひ曲を聴いてくださいね!

浩臣より

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2005年10月19日 (水)

エネルギーと生きる道

人はやはりエネルギーが限られていると思うんですよ、車でもガソリンが必要なように。だから得に食事と睡眠は大事だと思うんです。あと人間の特権は笑えるという事です。動物や虫や植物で笑えるのものはめったにみた事はありません。だから僕は笑った分だけ得をすると思います。でもケースバイケースによると思いますが。人をバカにするような笑いはいけないと思います。だけど愉快でたまらなく笑えたりとか、笑顔はとてもいいと思います。そうやって人生を楽しく生きてゆく事が一番だと思います。一生付き合ってゆく人は自分自身なんだから。

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これからの音楽活動

hiroomi

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雑念

僕は自分の中にあるエゴ、いや自分すらも本当はないのかもしれないが。

そういうエゴや概念を日々少しずつなくしてゆくにつれて、どんどん身も心も軽くなって爽快に生きてゆけると思います。

だから概念が自分の中にでてきて、気づいた時はその概念を認めてしまって、消してゆけばいいと思います。そうすると全てが無常だなと思えてきます。だからたまに思うのは「自分自身っていったいなんだろう?」とか。だから楽天的に生きていったほうがいいと思っています。

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