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2005年10月23日 (日)

死の瞑想

初期仏教では「死の瞑想」という瞑想法があると最近しりました。

「この体は衰え果てた。
病の巣であり、脆くも滅び去る。
腐敗のかたまりで、崩れてしまう。
生命は死に帰着する。」

 (『ダンマパダ 法句経』第148偈)

初期仏教の経典に上のような偈文があります。
仏陀が残した経典です。

スマナサーラ長老と観学院称徳 さんの言葉を引用します。

初期仏教では『死』を、以下のように観察します。
「生まれるものは皆死ぬ。生は死とともにある。
今まで生きていたものは皆死した。今生きている
ものも皆死していく。故に私も必ず死す。
死へ向かって生きている。水の上に書かれた線
が必ず消えるように、生きているものは必ず死ぬのだと、
また生は危ういものであり、死だけが決定的なものである」と、日夜観察するのです。(スマナサーラ長老)

「死の瞑想」とは、様々な死に接したとき、
生命ある者は皆このように死ぬ、わたしもまた死を免れないのだ、
と死を我がこととして観想することです。
そうすることによって、死は自然なことであって特別なことではない、と
悟ることができるのです。
そして、死が必ず訪れるものだと自覚することで、
今この時が大切だ、一期一会の出逢いも大切だ、今何をなすべきかが大切だ、
と思えてくるのです。目にするものすべてが愛おしく、美しく輝いて見えるというのです。 ( 観学院称徳 さん)

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コメント

こんなことも書いてありました。

以下、テーラワーダ仏教協会のHPから引用。

死の瞑想をする人は、どんどん明るくなるのです。常識的な世界では、「死」というのは口にしない言葉、嫌う言葉です。でも「なぜ人間は死を嫌うのか」、わかっていないのです。黒い服を着たり塩をまいたり、死を嫌うしきたりや風習もたくさんあるし、何かあってはいけないようなことがあった感じで、どれほど理屈が通っていないことかおわかりでしょう。先ほど申し上げましたように、人間、死がなければ、何もできません。「死」というのは、とてもありがたい概念で、とことん観察すればするほど、頭は冴えるのです。それを世の中では否定する。お釈迦さまだけが、「死」をよく観察しなさい、1分でも自分の死を念じる人は、徳を得るのだとおっしゃっています。 

投稿 トマソン | 2005年10月23日 (日) 22時04分

死の瞑想をする人は、どんどん明るくなるのです。
これは瞑想と言うより妄想であり、病気です。

大切な家族や友人が死ぬことを想定するのは常人には耐え難い。

投稿 関西人 | 2005年10月29日 (土) 03時12分

>トマソンさん
上の文章で人の死の瞑想とは書いていませんよ。
若輩者ですが、自分の死の瞑想だから明るくなるのではないでしょうか?

投稿 ゆるやま | 2006年12月28日 (木) 06時21分

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