人格向上の年
今年は人格向上の年にしたいですね。自分で気づいて周りからも気づかされていろいろな事を学び人格を高めてゆく。例えば他人の事をあーだのこーだの言って時間を潰すのはとても小さな事、そこに気づいたら人の事よりまず自分はどうなのかを考えてみる。そう考えてみると自分の器の小ささに気づく。それも一つの学ぶ事だと僕は思います。楽をして苦労もせずに幸せに生きるなんておいしい話はありえないと僕は思います。そう思っている人は世の中には結構いると思いますが。だから僕は常に気づいた事を学んでいきたいですね。憂鬱な日もあれば楽しくてしょうがない日もあればイライラしたりする日もある、でもそれはそれで放っておけばいいと思うのです。人に誉められても舞い上がらず非難されてに決して動じない人になりたいですね。そういう人こそ自分を持っている人だと僕は思います。今までの経験や日々の生活が無駄に思える時もある、でも無駄な事なんて人生に何一つない。人に優しく傲慢にならずに物事への執着を少しづつ捨ててどんな誘惑にも負けずたくましく楽しく生きていきたい。でもそうなるためには人格を向上させていかないといけないと僕は思うんですよ。空に向かってつばを吐けば必ず自分の顔に返ってくるでしょう。そんな簡単な事にも気づかない人もいる。でもそういった人に対しても決して馬鹿にせず優しく教えてあげればいい。自由という言葉は僕はあまり好きではない、自由というと何でもできるとかなんでも夢が簡単に叶うとかそんなイメージを持った人が多いからだ。本当の自由を知っている人のほうが少ないと思う。堕落した生活をしている人は堕落している事にも気づかないでそれが楽で自由なんだという錯覚をおこす。皆が平等です、差別はいけないという言葉にも僕はひっかかる。だいたい差別はいけないという事じたいが差別なような気がする。言葉ではなんでも言えますからね。僕にとっての人間の基本は悲しんでいる人がいればどうにか悲しさがなくなってほしい、苦しんでいる人がいればどうにか苦しくなりますように、喜んでいる人がいれば自分のことのように喜べる、楽しんでいる人がいれば自分も楽しいなぁと思えることだと思います。誰でも自分の嫌な部分は認めたがらない、あー言えばこう言う、そして他人の事をあーだのこーだの言いたがる。そこで学んだ事は結局他人はこの世の中のシステムでは責任はとってはくれないという事。全てが自分自身だという事。だから自分自身がしっかりしておかないといけない。そのためには人格を高めてゆく。そういう努力ってすごく大事だと思うんですよ。生き方っていうのは生きていく姿勢だと僕は思うんですよ。悩みなんてものは自分で作ってしまっているものだと僕は思います。人が本当に許してほしいという思いがあれば笑顔でもう気にしなくていいよというおおらかな姿勢とか決して人の事を口にしないとか本当に人の気持ちのわかる立派な心をもって生きるとか、そういった生きてゆく姿勢が顔つきや話し方や表情や行いに出ると思います。僕は人が話す言葉よりもその人がしている事を見ますからね。悩みをつくればきりがないしどんどん苦しむだけ、体にもストレスとなってよくないですよね。本当に自信を持っている人はそれなりの事をしてますよ。ただそこで決して舞い上がったりしてはならないですよね。欲をだせばきりがない。ささいな事で満足できてそこで終了と思える人は幸せだと思いますよ。幸せは他人や物からもらうものではなくて自分で感じる事だと僕は思います。本当に充実している人は不満も言わないし怒ったりする事もないでしょう。自分の世界を持つのは結構だと思いますがそれをいちいち他人に押しつけたりするのはどうかなとも思います。だから僕は常に学んで人格を向上してゆこうと思ってます。
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29341/8071013
この記事へのトラックバック一覧です: 人格向上の年:

コメント