2005年10月28日 (金)

禁煙宣言!

現在、あなたは禁煙についてご興味をお持ちですので、禁煙を具体的な目標と
して掲げていると思います。いずれにしても、「禁煙をしよう!」と思い、
「もうタバコを吸わない」と決意することが、禁煙の第一歩です。
禁煙できないのは、自分の意志が弱いからだと思っていませんか?
タバコをやめられないのは、意志の強さとは別に、タバコに身体的にも心理的
にも依存しているからなのです。タバコをやめるには、『身体的依存』と『心
理的依存』という2つの依存状態から抜け出すことが必要です。
『身体的依存』はニコチン依存ともいわれています。
タバコをやめ、ニコチンが体から抜けていくにしたがって、イライラや集中困
難などのニコチン離脱症状が現れます。タバコを再び吸ってしまえば、ニコチ
ン離脱症状はなくなるため、多くの人が、このニコチン離脱症状に耐えられな
くなって喫煙を再開してしまいます。

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2005年10月24日 (月)

仏教から見る死(上) 3

『業の法則』(因果法則、行為・結果の法則)という観点から、「死」にアプローチしてみましょう。

 「業の法則」は厳密な会計士のようなものです。現在の個々の人間の喜びや苦痛の大きさは、過去にそれぞれがなした善悪の行為に相応する結果です。それより多くも少なくもないんですね。また未来の幸福や不幸も、自分の善悪の行為によって、自らつくりだされていくものなんです。

 『生命は業を所有し、業を母胎として生まれ、業に固く結びつけられ、業に依存し、善悪の業をつくってそれを相続する』
        増支部経典(Anguttara Nikâya)

 さまざまな行為から、さまざまな結果が生まれます。ですから、生きているときの行為や条件にしたがって死因も異なってくるんですね。どんな行為や原因にもそれにふさわしい結果があるのです。これが確固たる真理なのです。

 業の法則とは、『行為には必ずそれに値する結果がともなう』というゆるぎない秩序のことで、何か支配者や組織などが、法則を制定しているわけではありません。また、自然も法則によって成り立っています。マンゴーの実が木から地面に落ちるのは、神々などの外部の力がそうすることを命じているのではなく、地球の引力やマンゴーの重力が原因なんですね。自然界にも一定の秩序がはたらいているのです。私たちの日常の行為にも同様に、原因と結果の法則、または行為と結果の法則が必然的にはたらいています。この法則は、外部の独断的な力に依存しているのではなく、『ある行為がある結果を生み出す』という普遍的な真理なのです。

 人間の「生と死」についてはどうでしょうか。これも根拠のない外部の力で決定づけられているものではありません。木が成長し、やがて枯れることと同様に、ある法則に基づいているものなんですね。また‘偶然’でもないのです。なぜなら、あらゆる現象は、それ以前に自らがなした行為や条件の結果なのですから。偶然が「生と死」を支配していることはありえないのです。私たちは原因を知らないときに‘偶然’という言葉を使うんですね。因果法則を発見することは「死」を理解することを助けてくれるのです。

 私たちは、外部の存在が個々の業を形成するのではないことを知りました。業とは自らの行為と結果のことに外なりません。ですから、自分が蒔いた種は自分で刈り取らなくてはいけないのです。また業とは‘過去’という密閉された箱から出てくるものではなく、いつでもつくりだされているものなんですね。人生は因果法則によって成り立ち、私たちは瞬間瞬間、業を担って生きているのです。ですから未来は、すべてが過去の行為の結果ではないのです。今の瞬間もまた未来の原因と条件をつくりだしているのです。

 もしあなたが死を恐れるのなら、良き未来を確保するために、なぜ、今という時を賢く使わないのでしょうか? 死を恐れ、怒りや怠けなどの悪い感情が、私たちの未来の幸福を妨げています。ある人々は、道徳を守り、他の生命を害することなく、自分にできることで他人の役に立ち、いつも法を思い起こし、法に従って生きています。このような人々は疑うことなく幸福な未来のために励んでいます。法に従って生きる者は、確実に法に守られます。また死を考察することは、法に従うことの手助けをしてくれるんですね。法に守られる人々は死を恐れることがありません。また死が訪れたときも、落ちついてその現象に直面することができるでしょう。

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