(慈経 アルボムッレ・スマナサーラ P118.119より引用)
ある人が病気になってどうにもならない状態で
落ち込んでいる時、病人の気持ちを良くしてあげないと
病気が治らないでしょう。
みんな普通に「大丈夫ですか、
元気を出して頑張って下さい」 と励ましますね。
患者の気持ちを穏やかにするために一生懸命です。
でも、もし私が行ったら、病人の性格によって
色々と言う場合があります。
ちょっとでも怠けごころでワガママを言ったら、
「あんた汚いことばかり考えていないで、
『慈悲の瞑想』をしなさい」と怒るのです。
甘えさせてあげません。
あるいは、病人が 「今日は寝られなかった」
と弱音を吐いたら、
「だったら眠れない時間、ちゃんとすべての生命に対して
瞑想したらどうですか」とアドヴァイスをする。
そうするとまた結果が違ってくるのですね。
ある時には、「まぁ、アンタだったら病気になるのは
別に当たり前でしょう」と突き放すことがある。
「医者は良い薬出してくれなくて…」と愚痴られたら、
「それはアンダの性格が悪いのだから当たり前。
アンダは頑固で怒りっぱなしで、
他人のことを全然心配してこなかったでしょうに」と
説教する場合もあります。
「まぁ良いのではないですか。
もしかすると医者が注射を間違うかも知れませんよ、
そんな性格だったら」そうやって脅して喜ぶ時もある。
すると本人はもう助けて欲しい状態だから、
自分の性格の悪さについて「やっぱり
ちょっと気を付けなくちゃ」と、
他の人を心配する気持ちが生まれてくる。
自分のことばかり心配するというのは、
とんでもない話ですからね。
慈悲の生き方は、今まで世の中で普通とされてきた
生き方とはアプローチが百八十度違うのです。
同じ病院に行って、同じ医者に掛かって
治療して貰うのだけど、
慈悲の人のアプローチは百八十度違う。
自分が病院に行ったら先生にも
心の安らぎを与えるのです。
ふつう「医者が患者に精神的にも安らぎを与えるべきです、
そうでなきゃ治りませんよ」と言うでしょう。
病院が職員に向かってそう話すのは当たり前ですけど、
では患者が医者に精神的な安らぎを
与えたらどうですかね。
ものすごく違った結果になるのではないでしょうか。